人は「やりたいからやっている」と思うもの。
時々、イヤイヤ我慢してやっていることを
「あの人は気が進まなくてもやっていて偉いねー」と受け取ってもらえると思ってる方がいるのですが
そんなことはありません。
どんなに我慢してやっていたとしても、
「あの人は好きであんなことしてるのね。偉いわねー。私なら無理だわ。」と受け取られるのが普通です。
イヤイヤ家事をしていても
「好きでやってるんだろう」と思われますし、
イヤイヤ仕事していても
「好きでやってるんだろう」と思われますし、
イヤイヤ節約していても
「好きでやってるんだろう」と思われます。
ある日我慢出来なくなって
「イヤでもやってるんだ!
誰のために頑張ってると思ってるんだ!!(┛◉Д◉)┛彡┻━┻」
とキレても、
「イヤならやらなきゃいいじゃん!」と思われるだけです。
そういうものです。
だから、頑張っていれば分かってもらえるとは思わないことです。
イヤイヤやっていることの先には、
よりたくさんのイヤイヤやっていることがあるだけ。
イヤイヤやっていることは、少しずつやめてしまえばいい。
実際に10から0にはなかなか出来ないこともあるでしょうが、
9にしたり、8にしたり、少しずつ減らしていけば、余裕が生まれます。
その方法を考えるのは、楽しいことです( ・∀・)
相手の行動は、相手が決めること。自分と相手の境界線。
1回目のコロナワクチンを受けました。
腕の痛みに加えて、眠気が強かったです。
1日のほとんどを寝て過ごしました( ・∀・)
先日、知人に「どうやったら人を思い通りに動かせるのかなぁ?」と訊かれました。
その人は、お子さんに言うこときいて貰いたいということだったみたいですが、
私は、人を意図的に動かすことなんて出来ないと思っています。
大人なら尚更だし、それは子どもが相手でも同じこと。
自分の行動は自分で決めるものなので、
周りが、方法次第で思い通りに動かせると思うのが変かなと。
仮に、相手が自分の忠告をきかず、
何か間違った行動をして失敗するようなことがあったとしても、
それはその人の学びになるはず。
自分で決めて、見合った結果を得ることは、
絶対に無駄にはならない。
(冷静に受け止めることが出来れば。)
私たちに出来るのは、
「こうして欲しい」という希望や要望を伝えることと、
「こうした方が良くない?」と提案することくらい。
その後に相手がどんなふうに考え、判断するかは、相手の自由であり、責任です。
相手と自分の間には、境界線があります。
相手の行動も、考えも、感じ方も、境界線の向う側のこと。
どんなに親しくても、そこを越えることは、してはいけないと思っています。
察してさんは生きづらい。言葉にして伝えよう。
知人と話していたら、
A「これ、やっておいてくれたよね?」
B「え?それもやらないといけないの?言われてないよ?」
A「やってないの?なんで?普通これくらいはやってくれるでしょ?」
B「そんなん分からんし!ハッキリ言ってくれないと分からん!!」
というやり取りが職場であったそうで。
Aさんは、あまり自分の考えとか気持ちとかを言葉にして伝えない人。
言わなくてもわかるよね って思ってしまう人。
で、実際に求めることがなされていなかったら「あの人は気が利かない」と、判断を下してしまう人。
察してさんです。
察してさんは毎日、考えることがとても多いです。
人の言葉をそのまま受け入れることが出来ないので、
「あの人はああ言ったけど、本当はどうなんだろう?」とか
「あの人はやらなくていいって言ったけど、やっておいたほうがいいのかなぁ?」とか
「あの人は気にしてないって言ったけど、絶対気にしてる!」とか
言われたことに対して、相手の本心を求めて色々考えます。
でも本人に確認もしないので、悶々とするだけ。
自分が人に何かを言うときも、
「これは、言わなくてもわかるよね?(やってくれて当然だよね)」とか
「一応遠慮して断っているけど、本当はして欲しいの、分かってるよね?」とか
自分が人の言葉について考える分だけ、
相手も自分の言葉について考えてくれるものと思ってしまいます。
でも実際はそんなに考えても貰えないので、
望む結果を得られなくて悶々とする。
察してさんの毎日は、とても疲れます。
楽になるためには、
人の言葉の裏を読もうとしないこと。
自分の思いや考えを、明確に伝えること。
疑問があったら、ちゃんと相手に訊くこと。
ちゃんと、言葉でコミュニケーションを取ろうとすることです。
もしかしたら、ハッキリ言ったら
わがままと思われるかも知れない…
角が立つかも知れない…
頭が悪いと思われるかも知れない…
気が利かないと思われるかも知れない…
と、不安になるかも知れません。
けど、ハッキリ言ってくれる人は、付き合いやすいですよ。
その人の本心を探る必要が無いので。
示されない正解について延々と考えを巡らせる必要がない。
ありがたいことです。
察してさんは、これが出来るようになると、とても楽になります。
いかに自分が、大変なことに膨大な時間を使ってきたか、分かると思います。
いかに見当違いの努力だったかも。
もし、お互いがハッキリ言い合い、
価値観を十分に理解し合うことが出来たら、
その上で察する力を発揮すればいい。
その頃には、全然見当違いな察し行為だったとしても、
相手も自分も、笑い飛ばせるような関係を築けていると思います(*´∀`*)
愚痴ってスッキリしてしまうのは、勿体無いこと。
最近、時間があればアマゾンプライムで『ブリティッシュ・ベイクオフ』を見ています。
イギリス版の、TVチャンピオン「ケーキ・パン職人選手権」という感じの番組です。
人が作っているのを見ると、自分も何か作りたくなりますね(^∇^)ノ♪
作れないんですけどね♪
今日、知人からLINEが入ってきました。
なにやらお怒りで、最後に「愚痴です。」と書いてありました。
誰への愚痴なのかも明記されておらず、
内容もはっきりせず、
私の、「何があったの?」という問いかけも既読スルー。
泥団子を顔面にぶち当てられたような、
痰壺に使われたような…そんな気分です。
私に対する愚痴だったんだろうか…?
人が腹を立てるときは、
何かがその人の思いどおりにならなかったとき。
その人の価値観と抵触したとき。
その人に都合が悪いとき。
怒りの原因が周りではなく自分の内面にあることも多いので、
簡単にポロポロと口に出してしまわない方がいい。
もし何か腹が立つことや悲しいことがあったら、
自分一人で考えてみることです。
感情が高ぶりすぎて冷静に考えられる状態じゃなかったら、
紙やノートに書きなぐりましょう。
許されるなら、叫ぶ。暴れる。
何を感じてもいい。
どんなに理不尽なことを思ってもいい。
全て書きなぐって、一旦、落ち着きます。
それから、
どうして自分は腹を立てたのだろう?
何が、嫌だったんだろう?
起こった出来事の、何がそんなに受け入れがたいんだろう?
どうしてそう思うんだろう?
どうして?
なんで?
本当に?
じゃあ、自分はどうなって欲しかったの?
どうなるのが理想だったの?
等々、自分に問いかけます。
怒りや悲しみが、
いかに自分原因で発生しているかが分かるはず。
自分の恥を晒す可能性があるので、
気軽に愚痴が言えなくなります。
さらに、怒りの原因となる価値観に気付いて対処していけるようになるので、
愚痴るようなことが減っていきます。
イライラしにくくなってきます。
愚痴は、人に言わずにノートに吐き出しましょう。
そして、その奥の自分と対話しましょう。
折角の自分を知るチャンスなのに、
人に愚痴ることで一瞬スッキリして終わらせるなんて、勿体ないことです。
確実に!周りを不快にしますしね…
人は本来、自分のことが好きなもの。
「自分のこと、好き?」と、数年振りに会った知人に訊かれました。
「好きだよ( ・∀・)」と答えました。
彼女は離婚したばかりで、
泣きながら、いかに自分に自信がなく、
人の目を気にしていて、
自分のことが嫌いなのかを、語ってくれました。
わかるよ。
私も、同じだったよ。
よく死ぬ気になれば何でも出来るとか、
死に直面したら生き方が変わるとかいう人がいるけど、
あの頃の自分は、死ねるとなったら、喜んだと思う。
もうこんな毎日を送らなくていいなら、そうしたい。
願わくば、辛い思いや痛い思いをせずに消えてなくなりたい!と思ってた。(笑)
だけど結局、今、こうして元気に生きてて、
「自分のことが好き」などと言えるようになった。
人はみんな、基本的に自分のことが好きなんだと思う。
ただ、生まれてからいろんなことを経験していくうちに、
望みに足らない自分のことを嫌いになってしまうだけで、
きっかけがあれば、全然余裕でまた好きになれるのだと思う。
彼女は、今がその「きっかけ」のときなのだ。
せめてもの応援の気持ちにと、ミスドのドーナツを渡した。
次に会うときには笑顔になっているのを、心から願う。
幸せなんて、簡単で技術的なもの。
シャトレーゼで、一番好きな食べ物は梨恵夢です。
今、初めて食べましたが
瀬戸内レモン味も美味ですねー✧◝(⁰▿⁰)◜✧
幸せ♡
一緒に飲む珈琲の、
袋を開けたときの匂いも、
淹れてるときの匂いも、
飲んだときの味も、幸せ♡
幸せって、簡単なものなのに
どうしてめちゃくちゃ難しいものとされているんでしょうね。
お金を稼げなかったら幸せじゃない とか
素敵な彼氏やご主人が居なかったら幸せじゃない とか
素敵な仕事をしていなかったら幸せじゃない とか
外見に恵まれていなかったら幸せじゃない とか…
幸せになるには、特別な何かを得ていなければならない。みたいな。
なぜそんなに幸せのハードルが高いのか。
幸せなんて、簡単なのに。
単に、五感で感じるだけのことなのに。
美味しいものを、美味しい♡と感じ、
いい匂いを、いい匂い♡と感じ、
美しいものを見て、美しい♡と感じ、
きれいな音を聞いて、きれい♡と感じ、
温かいものに触れて、温かい♡と感じること。
もちろん、その逆も然り。
不味いものを、まっずーーー!と感じたり、
くっさーーーーい!と感じたり…
以下略。
かく言う私にも幸せが特別な何かだと思って、
涙を流して欲しがっていたときがありまして。
その頃は、
「五感をちゃんと使うんだよ!
それが幸せなんだよ!」と言われても
意味が分かりませんでした。
そんな誤魔化し、認めないし!!
仙人じゃあるまいしーーー!!
そんなん、イヤーーーーー!!!!(ノ`Д´)ノ彡┻━┻
とね。
だけど今は、人生変えるほどの教えだったと感じています。
幸せとは、感じること。五感を活用すること。
最初は下手でも、あえて感じることに集中して訓練していくと、
だんだん上手になっていきます。
訓練でレベルを上げていける、単なる技術。
幸せは、簡単なことだったのです。
ブログ始め。
このブログでは、
アタリマエに大切だなぁと思うこと、
これからアタリマエにしていきたいこと、
今までのアタリマエを疑うことなんかを
書いていきたいなと思っています。
よろしくお願いします。